edgeコンペに応募したきっかけ
大学2年のとき、友人のすすめで。その友人は私が「ひとり親家庭の支援」に興味を持っていることを知っていたからです。
私が「ひとり親家庭の支援」に興味を持ったのは、私自身がひとり親家庭の子供であることと、大学で「子供の貧困」の講義を受けて、ひとり親で経済的にきびしい家庭が多く存在することを知ったからです。
応募時点のビジネスプランは…?
自分が大学進学の時にお金がなくて進学を断念しかけた経験があるので、ひとり親家庭の子供が経済的理由で進学を断念しなくていい状態になればいいなという思いだけはありました。
この思いだけで描いたのが「タダで通える学校」というプランでして、いま思うと最初の書類審査をよく通過できたなという代物でした。
書類審査通過の通知を受けて合宿形式の集合研修に臨んだのですが、この研修の冒頭、メンターから「キミのプランはビジネスかな?文部科学省に入って施策化したら?」と言われ私も「ほんまやわ!」と納得しまして、「タダで通える学校」プランは消えてしまいました。3日間の合宿開始早々、合宿からの脱走がアタマをよぎりました。
自分の中にビジネスプランのタネが見つかる
合宿早々に振り出しに戻り、なにをどうしたらいいのかわからない状態でしたが、メンターの方々が様々な角度から質問してくださることで、自分の中に「ビジネスプランのタネ」を見つけることが出来ました。「あなたはひとり親家庭になってから、何に一番困ったの?」「大学入試に合格したものの、お金がなくて進学をあきらめかけたことです」「それやん!そのお困りごとを何とか解決できることを合宿中に考えましょう」と言われまして、ここでまた、「ほんまやわ!」と思わず納得し、「一人親家庭のための進学支援」という切り口でビジネスプランを考えていきました。集合研修終了時にはビジネスっぽいプランが描けてセミファイナルに進むことができました。
集合研修からセミファイナルまでの2ヶ月間、セミファイナル進出者たちは、見込み客や課題を抱えた人々の生の声を聞くなどしてプランをブラッシュアップするのですが、そもそも私はこの時点でも起業する気はなく、なにもしていませんでした。メンターから「集合研修終わってから何もしていないやん。やる気がないならやめなさい。続けるなら、問題を抱えている当事者に会いなさい」と言われ、ほんまや!その通り!!と思わず納得し、当事者とお話できる機会を探しました。たまたま近所で、母子家庭の母親のおしゃべり会を見つけ、アポなしで協力依頼をしに行きました。すると、その会の代表者がいきなり私の手を握りしめながら「あなたのような人を待っていました!」とおっしゃったのです。わたしは初めて、私のやろうとしていることが必要とされている実感を持ち、それまで教師志望一本だったのが、起業という道をぼんやりと意識するようになりました。
課題を抱えた方々から、プランの強みを教わる
これでスイッチが入った私は、ビジネスプランと正面から向き合って、それなりのものを描きました。それを担当メンターに見ていただくといきなり「この事業、なんで必要なん?」と問われ、私は固まってしまいました。セミファイナルの資料提出期限2日前に、そもそものことを問われて「どないせいっちゅうねん!」とも思いましたが、それを説明できない自分の状態はアカンと気づかされ、改めて母子家庭母親のおしゃべり会の方々に「なんで私の事業が必要と理解してくださったのですか?」とたずねました。すると、「行政もいろいろ事業やっているけど、職員の対応がしんどくて使いづらい」「渡さんは当事者なので信頼できる」「渡さんは男性。女性の私たちには男性のロールモデルを子供にみせられるのがうれしい」などの意見をいただきました。これで、一人親家庭の方から見た私のプランの強みや、行政などの既存サービスの問題点を知ることができました。
打ち上げで、起業にハラをくくる
これらの声を踏まえたプレゼンをした結果、セミファイナルを通過しファイナルに進出できたのですが、この時点でも起業について「始めるとしても3年後くらいかなぁ」と煮え切らない状態でした。それが、セミファイナルの打ち上げで腹をくくることになりました。メンターとの会話で乗せられ、つい「すぐにやります!」と宣言してしまったのです。ファイナルまでの2か月で、ビジネスの形にするしかない状態になってしまいました(笑)
ビジネスを意識する
ファイナルまでは2名の担当メンターがついてくださいました。ひとり親たちの声を聴き、中身を練り上げ、メンターのお二人からアドバイスをもらい、また声を聴くということを毎週のように繰り返してサービスを作り込んでいきました。この時点のプランは、ひとり親家庭の子供を対象に奨学金を出すことが主な中身でしたが、セミファイナルから1か月後に行われた集合研修でさらにビジネスらしい中身へと変わることになりました。担当ではなく他のメンターから「キミの想定する奨学金の額では大学行ける人数限られるんとちゃうかなぁ?」「ひとり親って、子供の塾費用がしんどいんとちゃうかなぁ?」などと問いかけられ、子供の学習支援という、今のアットスクールのビジネスに近いプランになっていきました。
また誘われて、ついに起業した
結局、ファイナルでは受賞しませんでした。この時点で大学2年の2月でしたし、コンペの緊張感から解放され、教師への道との迷いが再び生じていました。しかし、ファイナル終了後まもなく、メンターから「エッジが起業支援金を出す仕組みを作った。応募しないか」とのお誘いがあり、応募しました。審査を通過し、12月までに開業すれば支援金がもらえることになり、無事、12月にひとり親家庭の子弟のための塾を開業しました。
もし、このお誘いがなければ私は起業せずに教師になっていたかも知れませんし、コンペ終了後もエッジのメンターが関わってくださったことで起業できたと思っています。
大学3年生で起業するも、ビジネスは上手くいかなかった
開業した2010年12月時点で私は大学3年生の21歳でした。今思えば怖いもの知らずで開業しましたが、3年間は全然うまくいきませんでした。お客さまはこないし、スタッフとはもめるし、2013年には私が塾経営から追われることになりました。この段階で、私は事業から撤退する意思を固め、関わりのあったメンターに事業撤退を説明しました。結局、メンターといろいろ話しをする中で、辞めるのではなく自分が休養し、他のスタッフが塾経営を続けることになりました。
メンターがどん底から救ってくれた
この時の精神状態はどん底でしたが、メンターから「もう一度がんばれ」と背中を押されて、最終的には塾に戻ることになりました。一度離れた組織に戻る以上、きっちり腹をくくれましたし、なにより、「自分が変わらないとどうしようもない」と気づかされ、相手の身になって考えるようになり、やっと普通の人間になった気がしました。
このころから、問い合わせが増え、お客様が増え始め、塾の経営が上向きました。私がヘタレだと経営はヘタレる。私が変われば経営も変わる。問題の原因はすべて経営者の中にあるんだと痛感しました。そして、エッジのメンターの方々がヘタレの私を見捨てることなく向き合い続けてくださったおかげで今、経営者をやれていると感謝しています。
edgeと関わり続けることで成長してきた
実は、開業した2010年から毎年、エッジコンペの合宿には必ず参加しています。プレイヤーではなく、ボランティアとして。経営が厳しいときも、上向いた時も、メンターのみなさんと向き合うことで自分の状態を教えてもらえますし、なにより元気をいただけます。一昨年からはメンターとして参加していますが、とてつもなくエネルギーを消耗する仕事だということがよくわかりました。そしてスタッフにもボランティアとして参加してもらっています。
この合宿に参加したスタッフはみんな、大きく成長してくれます。メンタリングのやりとりを記録するなどの役割ですが、メンターがプレイヤーに本気で向き合う様子を見るだけでも意識が上がるようですし、スタッフがメンターとちょっとした会話をすることで大きな気付きを得ることもあります。合宿ならではですし、有名な経営者やコンサルタントの方々が気軽に接してくださる場はほんとうに贅沢でありがたいなと思います。私もスタッフも、エッジの現場で鍛えられて成長していると実感していますし、これから起業する人や、成長する場を探しておられる経営者には本当におすすめしたいです。
【プロフィール】
渡 剛(わたり つよし)
1989年熊本県熊本市生まれ。自らも母子家庭で育つ。中学・高校生時代の経済的・精神的に苦しい経験から、苦しい状況に置かれる子どもに寄り添える教師をめざす。大阪大学在学中に、「社会起業家をめざす若者のためのビジネスプランコンペ edge 2010」に参加。同コンペをきっかけに、多くの支援者と自分のサービスを必要としてくれる人たちに出会い、大学3年生の時に任意団体「@school」を設立。大学卒業と同時に法人格を取得し、「NPO法人あっとすくーる」を設立、理事長に就任。2015年度より、子どもの貧困対策センター 一般財団法人あすのば の評議員も務める。
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